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名古屋高等裁判所 昭和56年(行ケ)1号 判決 1982年2月16日

原告 尾関治郎

右訴訟代理人弁護士 社本英昭

同 菅原正治

同 加藤宗三

被告 名古屋高等検察庁検察官

検事 三井榮作

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

(原告)

一  昭和五四年四月二二日施行の一宮市議会議員選挙における原告の当選は無効とならないことを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

主文同旨

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一  原告は、昭和五四年四月二二日施行の一宮市議会議員選挙(以下「本件選挙」という。)に同年四月一二日立候補して当選し、同月二三日同市選挙管理委員会より公職選挙法(以下「公選法」という。)第一〇一条所定の事項を告知され、現に同市議会議員に在職中の者である。

二  本件選挙において、訴外岩田義一は、原告のための選挙運動に関し公選法第二五一条の二第一項第一号に該当する者(総括主宰者)として同法第二二一条第三項第二号、同条第一項第一号の罪を犯したとして他の同法違反の罪を併せ審理を受け、昭和五五年六月一六日名古屋地方裁判所一宮支部において懲役一年、三年間刑執行猶予の判決言渡を受け、右判決は昭和五六年三月一〇日確定(岩田義一からの控訴申立、控訴棄却判決、右岩田からの上告申立、昭和五六年三月三日上告棄却決定)した。

原告は昭和五六年三月一六日最高裁判所第二小法廷裁判長から公選法第二五四条の二第一項に基づき右裁判が確定したことの通知を受けた。

三  しかし、本件選挙において、岩田義一は原告の選挙運動を総括主宰した者に該当しない。同人は単なる選挙運動者にすぎなかったものである。それゆえ、同人が右のように刑に処せられたとしても、原告の当選は無効とならない。

四  よって、原告は公選法第二一〇条に基づき前記申立記載の裁判を求める。

(請求原因に対する被告の認否)

請求原因一、二項の事実は認めるが、同三項の事実は争う。

(被告の主張)

岩田義一が本件選挙に立候補した原告の選挙運動の総括主宰者であったことは次に述べるとおりである。

すなわち、岩田義一は、立候補届出の前後を通じて、原告の選挙運動のための役職員を決定する選考委員会を指導して、幹事長等の役職員を選出し、自らは選挙事務長に就任し、原告の選挙用ポスターの提示責任者となるとともに、本件選挙の選挙運動期間中、終始、選挙運動の中心的推進者としてこれを指揮し、自ら度々、選挙区内の各所で参集者らに対し、原告のため支援要請の挨拶をし、右選挙運動開始直後には、移動選挙事務所のスケジュール割振り調整の指示を、また、右選挙運動終盤には、役員等を集めて選挙対策協議の集会を主導するなど、右選挙運動の方針に関する重要事項の決定に参与し、原告が選挙運動費用として用意した資金の大部分を預り保管して必要に応じてこれを支出するなど、選挙運動の全期間にわたり、かつ、選挙運動の全域に及んで原告の選挙運動を推進する中心的存在として選挙運動に関する諸般の事務を掌握指導したものである。よって、岩田義一が本件選挙に際し原告の選挙運動を総括主宰した者であることは明白である。

(被告の主張に対する原告の認否)

被告の主張のうち、岩田義一が①選挙事務長に就任したこと、②選挙区内の各所において原告のため支援要請の挨拶をしたこと、③本件選挙運動の終盤に選挙運動の方針に関する重要事項の決定に参与したこと、④原告が選挙運動費用として用意した資金を預り保管して支出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

なお、右①の選挙事務長就任に名目上のものであり、②の挨拶の大部分は昭和五四年四月一五日以降なされたものであり、③の集会は二回開かれたが、岩田義一がこれを主導したことはなく、④の運動費用の支出は同年四月一二日から同月一四日までにおいてはその一部を支出したにすぎないものである。

(原告の反論主張)

一  公選法第二五一条の二及び同法第二二一条第三項に掲げる選挙運動を総括主宰した者とは、公職の候補者の選挙運動を推進する中心的存在として、これを掌握指揮する立場にあった者をいい、右にいう選挙運動とは、当該公職の候補者が正式の立候補届出または推薦届出により候補者としての地位を有するに至ってから以後に行われたものを指称すると解するのが相当である(最高裁昭和四三年四月三日大法廷判決、刑集二二巻四号一六七頁)。そして、公選法第二二一条第三項に掲げる選挙運動を総括主宰した者が同項の罰則に該当するには、同条第一項の買収行為を行った当時、総括主宰的行為を行っていたことを要するのは、右判決の趣旨及び罰則適用には遡及効が認められない刑事法の大原則上からも当然のことである。

二  岩田義一は、本件選挙に立候補の届出をした原告の選挙運動を総括主宰した者として、昭和五四年四月一二日頃から同月一四日頃までの間七回にわたり稲葉喜代信らに対し投票並びに運動報酬として現金合計二三万円を供与したとの事実認定のもとに、公選法第二二一条第三項、第一項の適用を受けて、請求原因二項のとおり名古屋地方裁判所一宮支部において有罪判決の言渡を受け、同判決は昭和五六年三月一〇日確定するに至った。しかして、右刑事第一審判決によれば、岩田義一のした前記違反行為の日時は昭和五四年四月一二日から同月一四日までである。従って、岩田義一が原告の選挙運動を総括主宰した者であるとの要件が、もし右四月一二日に具備すれば同月一二日から同月一四日までの違反のすべてについて、またもし同要件が右四月一三日に具備すれば同日及び翌一四日の違反について、更に同要件が右四月一四日に具備すれば同日の違反のみについて、それぞれ公選法第二二一条第三項の罪が成り立ち得るというべきである。

ところで、被告の主張は、右刑事第一審判決の認定事実を肯認した第二審判決の認定した理由をその基礎に置くものである。そして、右第二審判決は、原告の立候補届出日前においてした岩田義一の選挙運動(その内容については原告において争いがある。)と右四月一二日から同月一四日までの違反行為のあった期間において右岩田のした選挙運動と同期間の後である同月一五日以降に岩田義一のした選挙運動(その内容についても原告は争いがある。)を包含して、岩田義一が原告の選挙運動を総括主宰した者であると認定しているが、これが誤りであることは前項に述べたところから明らかである。また、原告の立候補届出前と右四月一五日以降の各選挙運動を除外したところの右違反行為期間中の岩田義一の選挙運動(その内容は後記のとおりである。)のみをもってしては、到底岩田義一をもって選挙運動を総括主宰した者とする要件には該当しないから、右第二審判決の認定は誤りである。従って、右第二審判決の認定理由を内容とする被告の主張も誤りといわなければならない。

すなわち、前記岩田義一の違反行為のあった四月一二日から同月一四日までの期間において、岩田がした選挙運動として右刑事判決が認定するところは、①四月一二日(イ)必勝祈願祭に出席し、選挙事務長として挨拶、(ロ)候補者の街頭宣伝車を出発させ、(ハ)選挙事務所で選挙用ポスターを戸別割し、(ニ)佐千原の婦人会長宅を訪れ、(ホ)選挙事務所で来客の応待などに当たった、②同日頃名目上の出納長岩田識に対しその前日頃原告より選挙運動費用として受け取った現金二〇〇万円のうち一〇〇万円を預け保管させた、③同月一三日選挙事務所において同月一四日から開始する移動選挙事務所のスケジュール割振りの調整を各後援会支部長に指示した、④同月一四日この日から始まる移動選挙事務所の借賃の支払金として現金一〇万円を岩田一に預けたというのであって、かかる事実が存したとしても(ただし、原告は①の(ロ)、(ハ)、③の事実については争う。また②の事実は正規の出納責任者に預けたものであるから当然の事柄である。)、かかる事実をもってしては岩田義一が原告の選挙運動を中心となって推進したことには到底ならないものである。

三  これに対し、本件選挙の立候補者であった原告が昭和五四年四月一二日から同月一四日までにした選挙運動の状況を見ると次のとおりである。

1(一)(イ) 四月一二日朝、自ら作成した立候補届を原告の子である尾関之俊、同尾関久俊及び岩田一らに命じて、一宮市選挙管理委員会に提出させ、選挙用ポスター貼布用の証紙、新聞広告掲載証明書など所定の書類の交付を受けさせ、また、かねて自ら尾関之俊に命じて用意した街頭宣伝車の看板の規格検査を所轄一宮警察署において受けさせた。

(ロ) 同日かねて自ら依頼しておいた神主司祭の下に必勝祈願祭に臨み、参集者に支援を求める挨拶を行い、直ちに家族に運転を命じておいた右街頭宣伝車に乗って街頭の支援を求める選挙運動を行った。

(ハ) 同日選挙事務所において菱川清らの要請により未決定であった移動選挙事務所の開設日程を、折から出席中の各部落町内会長ら原告の支持者代表格の者と調整のうえ決定した。

(ニ) 同日選挙事務所において来客らに対し応待した。

(ホ) 同日尾関之俊に命じて、同人が社長を勤める御幸建設株式会社に柴垣利明ら同会社の下請業者多数を召集させたうえ、右柴垣らに選挙用ポスターを葉栗連区以外の一宮市内全域に掲出方を依頼させて実行させ、また五〇〇票以上の投票獲得の選挙運動を依頼させた。

(ヘ) 同日自ら一宮タイムス社に対し、自ら起案した選挙用広告の掲載を依頼した。

(二)(イ) 四月一三日尾関之俊に命じて中日広告社に対し、自ら起案した選挙用広告を中日新聞に掲載方を依頼した。

(ロ) 同日自ら街頭宣伝車に乗り約一時間にわたって選挙運動をし、その後は選挙事務所において来客に応待した。

(三)(イ) 四月一四日海部代議士の秘書から同代議士が明日原告の選挙事務所に応援のため挨拶に行くとの連絡を自ら受け、岩田義一にその旨を伝えて、選挙事務所にその旨掲示させた。

(ロ) 同日佐千原の蓮浄寺で始まる移動選挙事務所の設営を尾関之俊らに行わせ、自ら同所で参集者に対し支援を求める挨拶をした。

右四月一二日から同月一四日までの期間中、原告は以上のような選挙運動をしているのであって、これを岩田義一の同期間中の前示選挙運動と対比すれば、むしろ原告がその選挙運動の中心となってこれを推進していたものといえるのである。

2 更に、原告は、四月一一日頃原告をはじめとするその身内(前記御幸建設株式会社の社員を含む。)が中心となって本件選挙を推進するとの選挙運動方針を定めて、これを身内に申し渡しており、これにより立候補届出関係手続の実行、右届出即日からの街頭宣伝車による選挙運動、四月一四日から始まった移動選挙事務所の設営関係、文書、看板による選挙運動などを身内中心の方針により展開している。しかも原告は立候補届出前あらかじめ選挙用ポスターと推薦はがきなどの内容の決定、それらの発注、選挙事務所設置場所の決定、その建築及び用地借入れの手配、選挙資金の調達を完了している。しかるに、岩田義一はこれら原告の立候補準備行為に全然関与せず、また選挙運動方針、運動方法について、あらかじめ選挙対策本部長ら選対本部役員との選対会議開催を準備してこれを決定しようともせず、漫然と放置し、全く無方針で選挙運動期間に入ったものであり、右運動期間に入った後も、選挙情勢の聴取、検討、票読みなど全くしていないのである。これをみれば、原告の立候補届出の時点及びそれ以降においても、原告こそがその選挙運動を推進する中心的存在とは言いえても、岩田義一は到底そのような中心的存在つまり原告の選挙運動を総括主宰する者に該当しないことが明白である。

四  原告は、本件選挙の告示日前である昭和五四年四月三日現金五〇万円を、同月一二日現金二〇〇万円を岩田義一に手渡したが、これを同人に手交したのは次のような趣旨に基づくものであって、右事実をもって、原告が岩田義一に原告の選挙運動を推進する中心的存在たる地位を与えたものと目することはできない。

1 原告は、四月三日岩田義一方において同人に現金五〇万円を手渡したが、その趣旨は原告の立候補準備に必要な費用を手交したものであって、それは原告の選挙事務所に使用すべき文房具費、電気器具購入費、水道の使用料、同事務所に出入すべき人々の自動車駐車場借用に必要な費用、食事休憩所設置の敷地借入料、ポスターなどの印刷費などを原告の補佐役である岩田義一に渡し、必要費用を支払ってもらうことを予想したものであった。そして、原告は、右金員を岩田義一に手交する際、右準備のため受領してくれるよう依頼し、同人もこれを了承したが、ただ結果において、岩田義一が右費用の支出原因行為を怠ったり、支払請求がなかったりしたため、これに使用することなく、その相当部分を他に流用し、または原告の立候補届出後まで保管し出納責任者に告げなかったことは原告の予期しなかったところである。よって、出納責任者就任予定者があるのに、それ以外の岩田義一に右金員を渡したことを目して、岩田義一が使用につき自由裁量を有する金員を受領し、原告立候補の選挙運動を推進する中心的存在たる地位をえたと認めるべき一資料とすることは失当である。

2 原告は、四月一一日東高田町内会長岩田文一同席の下に岩田義一に対し現金二〇〇万円を手渡したが、この金員は、前記1の五〇万円と併わせると法定選挙費用額にほぼ合致し、その範囲内の金額であり、もとより買収などに使用すべきものではなく、直ちにその翌日選任が届けられるべき出納責任者岩田識に手渡すべき趣旨のものであった。

岩田義一は、四月一三日右金員を出納責任者岩田識に届けたが、岩田識は選挙に素人であるためその就任をあらかじめ承諾した際、その職務の執行には他人の補助を借りることになっていたため、うち一〇〇万円のみを受け取り、他の一〇〇万円は岩田義一に返して保管を委ねて、その支出につき岩田義一の補助を借りることになった。右岩田義一が保管することになった一〇〇万円を買収費に使用されたかどうかは不詳であるが、これについてはもとより原告の関知しないところである。

このように岩田義一が一〇〇万円を保管し、また必要に応じて支出したことは、右出納責任者の補助者としての行為にすぎず、これをもって岩田義一を原告の選挙運動の総括主宰者と認めるべき一資料とすることは失当である。

なお、右二〇〇万円を原告が直接出納責任者に渡さず、岩田文一同席の下に岩田義一に手交したのは原告が法定選挙費用を用意したことを東高田の有力者に明示するためであった。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因一、二項の事実はいずれも当事者間に争いがない。そこで、岩田義一が本件選挙における原告の選挙運動の総括主宰者であったかどうかについて判断する。

《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

1  岩田義一は、原告が立候補当選した昭和四六年四月、昭和五〇年四月各施行の一宮市議会議員選挙において、原告の選挙事務長及び選挙用ポスターの掲示責任者となり、その中心幹部として右各選挙運動を推進したほか、昭和四六年四月の右選挙に原告が当選を果した後、原告を支援するため、原告の後援会を結成し、その後援会長に就任するなどして、原告のため活動してきた。

なお、右後援会は、当初、原告の出身地である一宮市大字高田、大字佐千原、大字富塚のいわゆる南部三郷における原告の支援者を中心に結成され、その後、原告の選挙地盤である一宮市大字大毛、大字島村、大字田所、大字更屋敷、大字光明寺(字山郷、字本郷、字小路、字土居)、大字笹野、大字杉山(これらの大字及び右南部三郷の各町内会を総称して葉栗連区と呼ばれている。)における原告の支援者も同会に加入して後援会支部を組織するなどし、昭和四八年五月には約一二〇〇名の会員を擁するに至り、昭和四九年六月選挙管理委員会に政治団体としての届出を行ったが、昭和五〇年の政治資金規制法の改正により収支決算報告書を選挙管理委員会へ提出することが義務づけられるなどして、公職にある者からの政治団体に対する寄付行為の規制が強化されるに至ったことから、右改正後は新法による届出を選挙管理委員会に対して行わず、昭和五一年以降正規には未届けの状態となった。

2  原告は、昭和五四年一月頃から出身地の大字高田のうち西高田地区の町内会長ら各種役員に対し本件選挙に再出馬する意向を示して、支援方を要請していたところ、おおむね支援が得られる感触を得た。そこで、原告は、本件選挙に再出馬することを決意し、同年二月初め頃から原告の出身地である大字高田の区長、東・西高田地区の町内会長、組長等各種役員及び後援会長の岩田義一らと連絡を取り合い、あるいはこれら役員を自宅に招集するなどして、原告への支援を要請してきたが、岩田義一は原告の再出馬の意向を知るに及び、自らも再び原告を支持することを決意した。

原告の支援要請を受けた右町内の各組は、原告を支援するかどうかについての協議を重ねた結果、かねてより原告の再出馬に反対の意向を表明していた西高田地区の副町内会長菱川清の所属する組を除くその余の組は、原告を支援することを相次いで決定したが、右菱川清の所属する組の支援は得られなかったことから、岩田義一は、大字高田の区長兼西高田町内会長岩田一、東高田町内会長岩田文一らとともに、右菱川清に対する説得方等地元町内における原告の推薦の意思統一に種々苦慮し、原告ともその対策を協議してきた。そして、本件選挙の告示を一か月後に迎えた同年三月初め頃、選挙運動のための役職員等の決定を急ぐ必要があると判断され、三月一五日頃原告方において、右役職員等を選出するため、後援会支部長や各町内の後援会長を主体とした会合が開かれた。そして、岩田義一は、右会合において、選考委員会を指導して、出納長岩田識、幹事長岩田喜作、総務会長岩田脩らの役員を選出し、自らも推されて選挙事務長に就任するとともに、後援会の各支部長に対し役員を補佐して各町内における原告の支援要請に努めるよう指示した(ただし、岩田義一が選挙事務長に就任したことは当事者間に争いがない。)。

また、右会合では、選挙対策本部長に佐千原地区の戸松則義が選出予定されたところ、同人は前記原告の再出馬に反対する菱川清と縁戚関係があったところから、これを辞退したため、改めて右本部長は佐千原地区から選出することとされ、その選出が遅れていたが、佐千原区長兼後援会佐千原支部長の原昇から宮田良一が右本部長に就任する用意がある旨の報告を受けた岩田義一は、同年三月二三日頃、原告、岩田一、岩田文一らとともに宮田良一方を訪れ、同人に選挙対策本部長への就任を要請し、その受諾を得た。

更に、岩田義一は、同年三月二〇日頃、原告の要請により選挙用ポスターの掲示責任者となることを承諾した。

3  岩田義一は、右のように原告の選挙運動の役員を決定した後、原告の選挙事務長として、同年四月二日原告方に右役員及び後援会支部長ら役員を招集して役員会を開催し、役職員を正式発表し、四月五日に選挙事務所開きをすることを決定したほか、後援会の各支部長らに対し、選挙対策副本部長、副幹事長として各町内における原告の票固めに努力するよう指示した。

そして、同年四月五日、原告が一宮市大字高田字向畑九四番地に設置した選挙事務所で、事務所開きが行われたが、岩田義一も選挙事務長としてこれに出席し、原告について、参集者らに挨拶をし、原告の支援を要請した。

その後、岩田義一は、同年四月七日頃、原告、岩田喜作、岩田銃一らとともに、菱川清方を訪れ、同人に原告の支援方を要請したり、四月一一日頃に至り同人の推薦も得られたところから、その謝礼に赴いたり、あるいは、後藤五郎に対し選挙運動のために労務者の手配を依頼するなどして選挙運動の準備を進めた。

4  岩田義一は、選挙費用として、原告から、同年四月三日頃、現金五〇万円、四月一一日頃、現金二〇〇万円をそれぞれ受領したが、右二〇〇万円のうち一〇〇万円を四月一二日頃名目上の出納長となった岩田識(なお、原告は本件選挙の立候補届出とともに、同人を出納責任者として選任し、その旨選挙管理委員会に届出た。)に預け保管させたほかは、自らこれを保管した。そして、原告の出納責任者として選出された岩田識は名義上のみの存在で、実際上は右義一において選挙運動費用の収支一切を掌握し、同人は後記認定の供与にかかる金員も自らの裁量で右保管金の中から支出した。

5  岩田義一は、原告の出身地である西高田地区において前記2のとおり菱川清の反対があり、原告同様、葉栗連区からの出馬が予定されていた共産党の対立候補者に一歩出遅れたことから原告への得票も分裂するのではないかとの危機感を持ち、原告に当選を得させる目的をもって、本件選挙告示前の同年四月七日頃から四月一一日頃までの間に、都合三回にわたり、原告の支援者で選挙人でもある岩田一ほか二名に対し、原告のため投票並びに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬として原告から受領した前記五〇万円の中から合計一八万円の現金を供与した。

更に、岩田義一は、原告に当選を得させる目的をもって、本件選挙の告示日である同年四月一二日から四月一四日頃までの選挙運動期間中に、都合七回にわたり、原告の支援者である選挙人である稲葉喜代信ほか七名に対し、原告のため投票並びに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬として前記保管金の中から合計二三万円の現金を供与した。

6  岩田義一は、原告の選挙事務長として、本件選挙の運動期間中、次のとおり毎日原告の選挙事務所に赴き、その選挙運動に専念し、運動員らを指揮するなどして、運動の積極的推進を図った。

(一)  本件選挙が告示された四月一二日、義一は、同日午前八時四〇分頃、波蘇伎神社で行われた必勝祈願祭に出席し、同境内で、原告についで選挙事務長として参集者約二〇〇名に対し、原告のため支援要請の挨拶をし、原告の街頭宣伝車を出発させるなどした後、原告の選挙事務所で選挙用ポスターの戸別割をしたり、午後には、葉栗連区の婦人会長宅を訪れ、原告の支援要請をするため、一時事務所を離れたほかは、選挙事務所で来客の応待に当たったりするなどして、午後九時頃まで事務所に詰めていた。

(二)  四月一三日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、四月一四日から開始する移動選挙事務所のスケジュール割振りの調整を後援会の各支部長に指示したほか、終日、選挙事務所に詰めて来客の応待に当たったりした。

(三)  四月一四日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、この日から始まる移動選挙事務所の借賃の支払金として前記保管金の中から現金一〇万円を岩田一に預け、また同事務所で来客の応待に当たったりなどしたほか、同日午前一一時から午後三時頃までの間、佐千原地区の蓮浄寺に開設された移動選挙事務所に出向き、参集者に対して、原告とともに、原告のため支援要請の挨拶をするなどした。

(四)  四月一五日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、原告の応援に訪れた海部代議士を迎えて事務所前で、自らも約一〇〇名の参集者に対し、原告のため支援要請の挨拶をしたほか、同日午後四時頃から田所公民館に、引き続き午後六時頃から土居公民館に開設された各移動選挙事務所に出向き、参集者に対し、原告のため支援要請の挨拶をした。

なお、同日、義一は、原告の選挙のための新聞広告代として、一宮タイムスに金四万円を前記保管金の中から支払った。

(五)  四月一六日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、終日、同事務所に詰めて、来客の応待に当たったりなどした。

(六)  四月一七日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、午後四時頃まで来客の応待に当たったりなどしたほか、同日午後四時頃から大毛公民館に、引き続き午後六時頃から本郷公民館に開設された各移動選挙事務所に出向き、参集者に対し、原告のため支援要請の挨拶をした。

(七)  四月一八日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、午後四時頃まで来客の応待に当たったりなどしたほか、同日午後四時頃から山郷公民館に、引き続き午後六時頃から更屋敷公民館に開設された各移動選挙事務所に出向き、参集者に対し、原告のため支援要請の挨拶をした。

(八)  四月一九日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴いたが、午前九時頃から選挙対策の協議を自ら主導して、原告の息子が経営する御幸建設株式会社の事務所に後援会の各支部長、役職員らを集めて開催し、街頭の選挙運動を展開するために必勝の鉢巻隊を組織することを決議し、岩田一に命じて必勝鉢巻一五〇本を購入させたほか、同日午後四時頃から笹野公民館に、引き続き午後六時頃から富塚公民館に開設された各移動選挙事務所に出向き、参集者に対し、原告のため支援要請の挨拶をした。

(九)  四月二〇日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、必勝鉢巻を運動員らに配布し、自転車、徒歩などによる南部三郷の選挙区域の街頭選挙運動を指示し、自らも原告とともに佐千原、富塚、島村団地、大毛、東大毛を廻り選挙運動をしたほか、同日午後六時頃から佐千原地区の蓮浄寺に開設された移動選挙事務所に出向き、参集者に対し、原告のため支援要請の挨拶をした。

なお、同日、義一は、必勝鉢巻二〇〇本を追加購入するよう岩田一に命じてこれを購入させ運動員に配布させたほか、原告の選挙のための新聞広告代として中日広告社に金六万円を前記保管金の中から支出した。

(一〇)  四月二一日午前七時半頃、義一は、選挙事務所に赴き、午前一一時頃から原告の応援のため訪れた海部代議士を迎えて開かれた総決起大会において、自らも参集者に対し原告のため支援要請の挨拶をし、午後から必勝鉢巻隊を組織して、選挙区域の葉栗連区全域を特に街頭選挙運動することを決め、原告には佐千原、富塚、島村、大毛、田所の各地区を廻らせ、自らも午後二時頃から山郷、本郷、土居、小路、笹野、大毛の各地区を廻って選挙運動を行ったほか、午後九時頃まで選挙事務所に詰めて来客の応待に当たったりなどした。

7  岩田義一は、投票日である同年四月二二日午前中に投票をすませ、午後三時頃から原告の選挙事務所に詰めて、各地区の投票率等の情報収集を行い、夕食のため一時帰宅した後、午後七時頃再度選挙事務所に赴き、同夜の開票の結果を待ち、翌四月二三日午前二時頃、原告の当選が判明したため、原告に事務所へ来てもらい、当選の万歳を三唱し、乾杯の後、午前三時頃解散して帰宅した。

なお、義一は、四月二二日午後、選挙の労務者に対する選挙運動期間中の労務費を支払うために、前記出納責任者岩田識に預けた一〇〇万円のうち二〇万円の返還を受け、四月二七日右労務費四〇万円を後藤五郎に支払った。

このように認めることができる。

二  ところで、公選法第二五一条の二第一項第一号、第二二一条第三項第二号にいう「選挙運動を総括主宰した者」とは、当該公職の候補者の選挙運動を推進する中心的存在として、これを掌握指揮する立場にあった者をいい、右にいう選挙運動とは、当該公職の候補者が正式の立候補届出または推薦届出により候補者としての地位を有するに至ってから以後に行われたものを指称するものと解すべきであり、ある者がこれに該当するかどうかは、形式や外見にとらわれることなく、現実に行われた選挙運動の実情に即して実質的に判断すべきである。そして、右認定の事実によれば、岩田義一は、原告の立候補届出前から選挙事務長に就任して原告の選挙運動の準備を推進して来たのであるが、原告の立候補届出後における選挙運動期間中には、終始選挙運動を指揮し、自らも度々選挙区内の各所で参集者らに対し原告のため支援要請の挨拶をし、選挙運動開始直後には移動選挙事務所のスケジュール割振りの調整の指示を、また、選挙運動終盤には役員等を集めて選挙対策協議の集会を主導するなど、原告の選挙運動の方針に関する重要事項の決定に参画し、原告が選挙運動費用として用意した資金の大部分を預り保管して必要に応じてこれを支出し、またその自由裁量によって選挙人に対し選挙運動の報酬として金員を供与するなど、本件選挙運動の全期間、かつ、選挙運動の行われた全域にわたりその運動の中心的推進者として活動したことが明らかである。そうだとすると、岩田義一は原告の選挙運動の総括主宰者であったものと認めるのが相当である。

一方、《証拠省略》によれば、原告が自らあるいは家族に命じて、選挙用ポスター、看板、推薦はがきの内容の決定及びその発注、選挙事務所設置場所の決定及び同用地の借入、事務所の建築などの手配、新聞広告の内容決定及びその掲載申込、街頭宣伝車及びうぐいす嬢の手配、街頭宣伝車の規格検査、選挙運動費用の調達等の選挙運動のため準備行為を行ったこと、息子に命じて、原告の立候補届、電話による投票依頼等の選挙運動、選挙事務所での茶菓の準備、運動員に対する食事の手配をさせるとともに、息子の経営する建設会社出入の下請業者に原告の支援を要請し、選挙用ポスターの掲示等を依頼させたこと、立候補届出後は、毎日自ら事務所に赴き、一日一回は街頭宣伝車に乗込んで街頭における選挙運動を実施し、各所で参集者らに対し支援要請の挨拶を行い、事務所に在席しているときには来客の応待に当たるなど各種の選挙運動を行ったことが認められる。しかしながら、以上は、ほかに選挙運動を総括主宰する者があっても、候補者自身が当然なすべき選挙運動あるいはその準備活動の範疇に属する事柄であって、これらの事実の存在により、岩田義一が原告の選挙運動の総括主宰者であったとの前記認定が左右されるものではない。

三  前叙のとおり本件において原告の選挙運動を総括主宰した者である岩田義一が公選法第二二一条第三項、第一項の罪を犯し刑に処せられたことは明らかであるから、本件選挙における原告の当選は同法第二五一条の二の規定により無効となるものといわなければならない。

そうすると、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 瀧川叡一 裁判官 早瀬正剛 玉田勝也)

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